渡辺と宮崎

http://www.excite.co.jp/News/sports/20040728061044/20040728snp01002.html?cobrand=hi-ho
ナベツネの発言より

「まだ若いんだよ。オレも学生のときは共産党だった。
だけど彼の年のときには卒業してたよ、共産党は。
彼が共産党とかいうことじゃないよ。
だからそういう大衆迎合的なまねはしないほうがいいよ。」

これを読んでたら大塚康雄御大の著書「作画汗まみれ」中に書いてあった安寿と厨子王丸に対する宮崎駿のコメントを思い出したのでメモしとこう。


>この作品はきわめて思想的な内容を持っている。もちろん、作品の意図するところは、客を泣かせて金を巻き上げようという単純なもので、あつ思想を意図的にもりこんだものではない。
(中略)
この映画の作者は、意図して支配体制のためにこの映画を作ったのではないにちがいない。しかし、自分の思想と美意識が封建時代から明治絶対性の人民弾圧の歴史の過程で作られ、資本主義にゆがめられていることを少しも意識sなかったために、きわめて現代の支配階級にとって、ありがたい作品を作ってしまったわけである。安寿にしろ、厨子王にしろ、二郎にしろ、じつにいやらしい連中である。こんな連中を描いて客を泣かせ、金を稼ぎ、現在の矛盾に満ちた現実に目をつぶる人間を作ろうとする『安寿』は、ぼくらにとって百害あって一利ない映画であり、彼等資本家階級には「百利あって一害」ない映画である。クタバレ安寿!(宮崎駿のコメントより)


共産主義を掲げていたものが、資本を得たがために資本主義へと「卒業」する。いわゆる共産クズレはなかなか始末が悪いのかもしれないな。まぁ、だれからもみてとれる資本主義の読売新聞のCMを、ジブリが作っていることを考えるとなかなか興味深い。資本力を武器に監督を引っ張ってきて、アニメーターを集め、宮崎駿プロデュースだの宮崎駿企画だののお墨付きを与え、いわゆるジブリのブランドマークをつけて、過大な広告を立て客を集め、金をまきあげる。猫の恩返しで確立したジブリのアニメ制作術。ハウル細田守監督に逃げられ、自ら監督をする羽目になってしまった宮崎駿監督。和製アニメブランド、「ジブリ」の明日はどっちだ!