華倫変さんのHPがついに消える

http://www.interq.or.jp/libra/karinpen/
http://plaza16.mbn.or.jp/~ohtapub/fuho.htm
自分の高校時代の漫画で印象に残ったものを挙げると必ず出てくるのが、「華倫変倶楽部」。2003年に本人が亡くなってから、いつHPが消えるのかと時々チェックしていたが、ついに消えてしまった。彼は「うつ病」のことをかなり深く調べ、「うつ病」や「自殺」に関するコーナーを設け、自殺に向かってしまう人を思いとどまらせるにはどうしたらいいのかということを真剣に考えていた。彼がどうして亡くなってしまったのかを追求するつもりはない。本人が亡くなってもHPは残り、故人の記録がそこにはある。HPの読者にとっては、管理者の死は単なる更新のストップとして受け入れられ、リアルな死はそこにはない。これがどういうことなのかを考えてみる。人間やその他の生物の”生”の目的は「情報」の伝達ではないかと思われる。しかし、人間にとってのそれは単なる遺伝情報の伝達(種の保存)だけでなく、自分自身の経験や思想といった、精神的部分の伝達という部分にまで拡大しているように思われる。そのような意味で考えると、自分自身の精神的活動が書籍化、映像化などなんらかの形で記録され、他社へ発信されている間は、その人間の精神的な死は訪れないと言えるのではないだろうか。インターネットにおける死の感覚は、この精神的な死の感覚が、他の媒体に比べ感じられにくいところから起こるのではないかと考えている。
岡崎律子Book
http://www.ne.jp/asahi/okazaki/book/
東京がけっぷち倶楽部
http://www.asahi-net.or.jp/%7Ett3s-cb/takerou/index.htm